「生まれない方が良いか」
これは、倫理学的には、どのような意味を示しているのでしょうか?
この話題に興味を持ちましたので、横入り失礼いたします。
1.このトピックにおける経験主義に反論する手立ての一つとして、何らかの形で快楽刺激を与え続けて、人生全体の快楽の総量を極端に大きくすれば問題がなくなるだろう、というものがあると思います。経験主義の立場の人はこれに同意するのでしょうか。
2.このトピックの本質は、善悪の線引きに対して快楽/苦痛(快苦)の概念を厳密に適用した場合に何が起こるか、だと思います。他者に苦痛を与える・快楽より苦痛が上回る、これらを「悪」と見なして、悪を排除するためには「生まれてこない方がいい」という結論が出てくるのだと思います。
となると、この議論に対して反論する場合、善悪の線引きに快苦よりも良い手段があるとか、快苦の概念の適用は不適切であるといった方針も取れるように思います。自分で考えた場合、この方針で良い反論が思いつかなかったのですが、議論は存在するでしょうか。
ご質問ありがとうございます。これは、以前から倫理学の方でテーマの一つとなっている「人口問題の倫理Population Ethics」の一つの極端な立場で、人間は存在する(生まれる)よりも非存在(生まれない)の方が好ましいという立場です。
その立場でも、大きく分けて二つの主張があり、一つは経験的な主張で、もう一つは概念的な主張です。
経験的な主張は、悲観主義者の立場で、人生は概して快楽よりも苦痛(苦労)の方が多く、ときどき幸福であっても人生全体を見れば不幸なのだから、生まれない方がよい(あるいは、子どもを生まない方がよい)という主張です。
これに対しては、人生には快楽の方が多いとか、仮に苦痛(苦労)の方が多くても人間は苦労は忘れる傾向にあるから人生全体を見ても幸福であるというような答が可能かと思います。
概念的な主張は簡単に言えばこうです。人は他人に快楽(利益)を与えようとするよりも先に、他人に危害を与えないようにしなければならない。ところで、子どもを生むと、子どもは快楽も享受するだろうが、必ず苦痛が生じる。すると、子どもに快楽を与えるよりは、危害を与えないことが優先されるとすれば、子どもを生まないべきである。
これについてもさまざまな議論がありますが、下記のサイトなどをご覧ください。
森岡正博「「生まれてくること」は望ましいのか
デイヴィッド・ベネターの『生まれてこなければよかった』について」
http://www.lifestudies.org/jp/benatar01.htm
なお、グローバルな環境問題によって次世代の環境が悪化することを考えても、一番よいのは我々の世代で滅びるべきではないかという主張があります(たとえばPeter SingerのPractical Ethicsの第3版で議論されています)。
倫理学ではこうした議論も真面目に検討されていますが、基本的には理論的な是非を論じているので、こうした議論に触発されて軽率に実践に移すことのないことを願っております。