倫理学と技術の進歩について質問させてください。近年、科学研究の分野で、あまりにも先端的すぎるがゆえに(?)、「倫理委員会」のようなものが設けられ、そこに応用倫理を研究する人がメンバーとして加わるということがままあると思います。こうした委員会が設けられる分野としては、従来の人間の生命観や自然観を覆すないし脅かすようなもの、少なくともそれらとは合致しないものの研究があると思います(クローンやiPS細胞)。
こうした科学研究に併設される倫理委員会の役割というものはどういうものなのでしょうか? 委員会内で「この研究はきわめて非倫理的であり、研究を停止することが善である」というような結論が出され、その研究が停止されるというようなこともありえるのでしょうか? それとも単に、「これらの研究は倫理的に問題ありません」と言い、社会の通念に反するかに見える研究にお墨付きを与えるにすぎないのでしょうか? これまで寡聞にして前者のケースについて報告を聞いたことがありません。
横からのコメントで失礼します。
回答者がおっしゃっているように、このような問題を考える上で、「私たちはどのような社会に生きたいと考えているのか」という視点は非常に大事だと思います。これは橳島次郎さんの「我々は現世利益をどこまで追求してよいのか」(『生命科学の欲望と倫理』)という視点と同じで、倫理に“欲望を規制する一定の基準や条件を見つけ出す役割”を求めています。
質問者は、倫理委員会にその役割を担うことを期待されているように思います。しかし、生命倫理だけでそのような欲望を規制する一定の基準や条件を見つけることができるわけもなく、一般市民がどう考えるかが大きなファクターになるんじゃないでしょうか。そこで気になるのが、自由と言いますか、欲望の追求に関して、戦後の知識人たちが、日本人の自由の概念の危うさに触れていた点です。一般市民は、“有用性”と言う言葉に惑わされやすいと思われます。それは資本主義経済が我々の倫理観に与える影響もあるでしょう。しかし回答者も触れておられますが、橳島次郎さんも“有用性”というのは、倫理的判断基準になり得ないと言っています。
将来(次世代)への視点から、我々が現世利益を適切に抑制し、持続可能な社会へとシフトしていくには、社会心理学的なアプローチなども検討する必要があるのではないかと思います。
大変重要な問いかけをしてくださったと思います。
「科学研究における倫理委員会の役割とは」というご質問ですが、2つの視座から考えたいと思います。
一つは、大学や研究機関に所属する研究者が計画した研究内容を、研究機関内において審査する「研究倫理委員会」の視座です。ご質問の中で、「その研究が停止されるというようなこともありえるのでしょうか」「寡聞にして前者のケースについて報告を聞いたことがありません」とお書きになっているのは、こちらの視座、つまり、個別の研究計画申請への対応を念頭に置かれてのご指摘ではないかと思いました。
各大学や研究機関は、機関内で審査した内容を公表しておりますが、多くは「承認」や「条件付き承認」であり、「承認せず」というケースはほとんどみられないのは事実かと思います。その理由としては、機関内の研究倫理委員会は、既にある各種研究倫理指針で定められた基準に沿って研究が計画されているかを確認するのが第一義的な役割となっているから、ということが言えます。(その意味では、「単に研究にお墨付きを与えている」とも言えるかもしれませんね…。)もうひとつの理由としては、各機関では、委員会に申請する前に、研究計画の内容を専門的立場や事務的な点から助言をする支援体制を整えているところもあり、極端に指針の基準から外れるような計画は、そもそも委員会に上がってこない、ということもあると思います。
なお、私の知る限りの情報で恐縮ですが、ある研究倫理委員会においては、年に1件あるかないかですが、「却下」という判断を下した例が存在することも事実です。しかしその理由は、「従来の生命観や自然観を脅かすような技術であるから」ということではなく、「研究計画が指針のルールに沿っていない、あるいは、きちんとした結果がでるような計画になっていないため」といった、あくまでも、指針上の基準に照らしての判断ということになります。
この「研究倫理委員会」の役割は、例えば、代表的な研究倫理指針である「人を対象とする医学系研究に関する倫理指針」においては、次のように定義されています。「研究の実施又は継続の適否その他研究に関し必要な事項について、倫理的及び科学的な観点から調査審議するために設置された合議制の機関をいう。」
・「人を対象とする医学系研究に関する倫理指針」http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/26/12/__icsFiles/afieldfile/2014/12/22/1354186_1.pdf
・その他の研究倫理指針については、「ライフサイエンスの広場」も参考になりますhttp://www.lifescience.mext.go.jp/bioethics/index.html
もう一つは、(おそらく質問してくださった方の本質的な問いはこちらだと思うのですが)そういった個々の研究計画の審査ではなくて、全くの新しい技術が登場したときに、それを研究現場(将来的には医療現場)でどう扱うかを総合的に議論する役割としての倫理委員会の視座です。そのような役割は、政府(内閣府)の「生命倫理専門調査会」(http://www8.cao.go.jp/cstp/tyousakai/life/lmain.html)という組織が担っていると考えています。例えば、ヒトクローン技術やヒトES細胞が登場した時には、まさに、「これらの技術を社会としてどう扱うべきか」ということについて、検討がなされてきました。(その結果、クローン技術については、ヒトの個体を産みだすことにつながる行為は法律で禁止されています。)最新のテーマとしては、「ゲノム編集技術」について、この専門委員会でどのような倫理的課題があるか調査することを決めたということがニュースになっていました。
なお、「生命倫理専門調査会」の役割は、内閣府のサイトによれば「生命科学の急速な発展に対応するため、ヒトES細胞の樹立・使用に関する指針や、特定胚、ヒト胚の取り扱いに関する指針などについての調査・検討を実施」となっています。(内閣府http://www8.cao.go.jp/cstp/tyousakai/index.html)
まとめますと、以下のようになります。
①一般に「研究倫理委員会」とは、大学や研究機関に設置されていて、研究者が立案する研究計画について、各種研究倫理指針に定める基準に沿って審査をするものである。
②科学研究における全くの新しい技術が登場した場合には、政府(内閣府)の「生命倫理専門調査会」がその技術の取扱いについて検討する場となっている。
しかしです。
ここからは個人的な見解となりますが、①の研究倫理委員会にもまだまだ課題はあります。また、②の専門調査会についても、現在の役割は非常に限定的であり検討する余地があると考えています。特に、生命観や自然観、さらには価値観までも変革するような新しい技術が登場した場合、あるいは、人類の健康や福祉の維持・向上のために大変期待される技術であるけれども、一方で悪用されれば人類を滅亡に至らしめるかもしれないような、諸刃の剣のような技術が登場した場合、私たちはどのように対応することができるでしょうか。
その際重要なのは「私たちはどのような社会に生きたいと考えているのか」という視点を踏まえて検討することだと思っています。また、「技術はある(使える)。求める人もいる。だけど使わない。」という選択をすることも時には必要であると思っています(納得できる理由を考える必要がありますし、なかなか難しい厳しい選択ではあると思いますが)。目先の「役に立つ目的」だけを考えるのではなく、将来(次世代)への視点も持ち合わせる必要があると思っています。
このような議論は、科学研究者や生命倫理の研究者といった専門家だけではなく、一般市民の皆さんと一緒に考えていく必要があります。私たち勝手連では、「新しい技術についてどうする?」ということについて、中身についてもですが、どういうしくみがあれば議論が充実したものにできるのかなども考え、折に触れこのサイトで発信していければと思っていますので、これからの活動にもぜひご注目ください。