一般的にピーターシンガーの「自己意識や快楽・苦痛の感覚が将来も見込めない重度の障害新生児に対する積極的安楽死は道徳的にも擁護されうる」という主張やトム・リーガンの権利論などはそういったものに疎い層からは過激な考え方とされますが実際の動物倫理学会での間ではどのように見られているのでしょうか?
あるところで聞いたものによるとヴァーナーなどが言うに多くの動物倫理学の権利論者はリーガンなどを除けば動物を犠牲にする制度の完全な撤廃を求める人は多くないとも聞きましたが実際どうなんでしょうか?
動物倫理学の研究者は倫理学の研究者の中でも少数で、倫理学の研究者全体を見るか、動物倫理学に特化した人を見るかでだいぶ感じは違うと思います。
動物倫理学を専門とする人たちの間では、シンガーやレーガンはかなりまともなことを言っているとみなされていると思います(かならずしも同意する人ばかりではありませんが)。われわれの「生物種」というものに対する態度があまりにいいかげんであるために、ただ単に筋を通そうとするだけで大手術が必要になります(「種差別」という言葉はその問題を指し示すために作られた言葉です)。シンガーとレーガンはその筋の通し方の2つの代表だと考えるとよいと思います。
他方、動物倫理学に特化しない人たちにとって、そういう筋を通すのはあまり重要な課題ではありません。種差別をせず筋を通すために大きな犠牲を払うのはばかばかしく思えるでしょう。そういう意味で、倫理学業界全体で見ればシンガーやレーガンは過激派あつかいだと思います。
「動物を犠牲にする制度の完全な撤廃」を動物倫理学者が求めるかどうかということですが、「犠牲」としてどの程度のものを想定するかにもよると思います。大きな苦痛や拘束を伴う営みについては、最終的には撤廃だという立場の人が多いのではないでしょうか。ただ、現状では、いきなり撤廃を求めて何もできないよりは、すこしでも改良した方がいい、という考え方をする人もまた多いと思います。
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動物倫理学を専門とする人たちの間では、シンガーやレーガンはかなりまともなことを言っているとみなされていると思います(かならずしも同意する人ばかりではありませんが)。われわれの「生物種」というものに対する態度があまりにいいかげんであるために、ただ単に筋を通そうとするだけで大手術が必要になります(「種差別」という言葉はその問題を指し示すために作られた言葉です)。シンガーとレーガンはその筋の通し方の2つの代表だと考えるとよいと思います。
他方、動物倫理学に特化しない人たちにとって、そういう筋を通すのはあまり重要な課題ではありません。種差別をせず筋を通すために大きな犠牲を払うのはばかばかしく思えるでしょう。そういう意味で、倫理学業界全体で見ればシンガーやレーガンは過激派あつかいだと思います。
「動物を犠牲にする制度の完全な撤廃」を動物倫理学者が求めるかどうかということですが、「犠牲」としてどの程度のものを想定するかにもよると思います。大きな苦痛や拘束を伴う営みについては、最終的には撤廃だという立場の人が多いのではないでしょうか。ただ、現状では、いきなり撤廃を求めて何もできないよりは、すこしでも改良した方がいい、という考え方をする人もまた多いと思います。