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ヒトクローンはなぜダメなのでしょうか。

投稿者:30代主婦
2015年07月08日

ヒトクローンは法律で禁止されていますが、なぜなのでしょうか。
カズオ・イシグロが『わたしを離さないで』で描いたように、臓器提供を目的としたクローン人間作製はその個体の尊厳を傷つけ、許されるものではないと思います。しかし、子どもを産めない人が、生殖医療としてその技術の恩恵に預かることについても、完全に門戸が閉ざされているという印象です。
クローンは、多くの人がイメージしているような核ドナーと全く同じ個体(成体)になる、ということはないと聞きました。であれば、子を授かるための生殖医療としても、検討されていいように思うのですが、そういう検討もなされているのでしょうか。
人のクローンが作られることへの漠然とした恐怖感は私も持っていますが、あまりに漠然としているので、根拠への理解を深めたく、質問をさせていただきます。
ご多忙のところ恐縮ですが、どうぞ、よろしくお願いします。

  1. 2015年07月08日  回答者:児玉聡

    ご質問ありがとうございます。1997年のクローン羊ドリー誕生の報道以来、哺乳類では牛や馬、猫や犬などで体細胞クローンが成功しています。人に関しても、人クローン胚の作製が2005年に成功しております。上記の哺乳類動物でも実際に健康に成長する個体はほとんどいないということなので、現在クローン人間を作ることに対する最も重要な反論は母体および子どもに対するリスクの大きさだと言えます。

    しかし、研究が進めば、クローン人間を安全に作ることができるようになるかもしれません。その場合に、原則として禁止する根拠があるかどうかは明らかではないように思います。「人の尊厳を侵す」という批判や、「無性生殖は自然に反する」という批判などがありますが、犬や猫の場合は、自然に反することも犬や猫の尊厳を侵すことがないのに、人間だけダメという理由を正確に述べるのは難しいと思います。また、仮に遺伝的に同一の個体が生まれるとしても、時間差のある双子だと考えれば、それほど問題であるようには思えません。

    「わざわざクローン人間という手段を用いなくても子どもを持つ方法はある」という批判も考えられます。たしかに、iPS細胞等から生殖細胞を作製できる可能性も現実味を帯びてきたこともあり、クローン技術を使う以外には子どもを持つ方法がないというのは考えにくいかもしれませんが、これは積極的に禁止する理由にはならないように思われます。

    というわけで、私は個人的には人のクローン個体の作製について、まだ安全ではないという理由を除けば、倫理的な問題は感じておりません。クローン個体を積極的に作る理由もあまりないように思いますが、近い将来、iPS細胞等を用いた生殖医療について考えていくさいには、クローンの問題も再度検討すべきなのかもしれません。

    参考:
    THE SCIENCE OF HUMAN CLONING: HOW FAR WE’VE COME AND HOW FAR WE’RE CAPABLE OF GOING
    http://www.bioethics.com/archives/28173

    Human stem cells made using Dolly cloning technique
    http://www.newscientist.com/article/mg21829174.200-human-stem-cells-made-using-dolly-cloning-technique.html#.VZp7a3ggxuE

    児玉聡・なつたか『マンガで学ぶ生命倫理』化学同人、2013年、第7章「クローン技術」

  2. 2015年07月08日  回答者:鈴木美香

    安全性の問題は人類がどれだけ時間をかけてもわかり得ない(世代を超えての安全性が担保される日は来ない)というのが、一番の拠り所かと思います。

    一方で、その安全性をきちんと評価するために、「臨床研究」という枠組みとして、きちんと追跡しデータを取って評価することを前提に実施するという道があるのではないか、という意見も存在すると思います。
    (クローン技術に限らず、他の生殖補助医療における様々な技術の実践も、海外では実施例を把握する体制下で行っているのに、日本では安易に道を閉ざすので水面下で実施され、実態が把握できず現状もリスクもなにも分からない状況になっている、そのこと自体が問題だ、という意見も聞くことがあります)

    また、私自身も2003年ごろ「なぜクローン人間を作製してはいけないのか」という問いを抱き、当時、JT生命誌研究館(大阪・高槻市)の中村桂子館長と言葉を交わす機会がありました。10年以上経つ今も、心に残るできごとでしたので少し長くなりますがご紹介します。

    私の「なぜクローン人間作製はいけないのか」という問いに対し中村館長は「その問いはナンセンス。もう少し視野を広げて、人間もヒトという生き物の一種、哺乳類の一種…というように考えてみたら?」と私に返してこられました。そう返された私は、自分なりに四苦八苦しながらも、自然界に目を投じるとクローンという現象を生殖の中で利用している生き物とそうでない生き物がいることがみえてきました。生物界での現象を頭に置き、人間を主としての「ヒト」として改めてとらえてみると、人間は生殖の中でクローンという方法を選択しなかったということがみえてきたのです。だとすると、そこから得られる選択肢は…。

    その後も、中村館長からの問い返しは、「本当に伝えたかったことは何だったのだろう…」と、私の心に引っかかっていました。

    気がつくとあれから10年以上経ちますが、改めて調べてみると2002年の中村館長の書きものの中に以下のような表現を見つけました。

    「生きものである人間」について知り、人間としてよく生きるために何をしたらよいかを考え、科学技術をそのための手段として位置づけるという基本に戻るしかないと思いました。そう考えると「生命科学」と呼ばれる研究を、本当に生きものを知ろう、生きものである人間をしっかり見ようという「知」にしていくほかありません。このような「知」を基本に置くと、「クローン人間を作るなんてバカバカしい」と思えるということも見えてきました。1,2)

    「技術」を前にすると、人間というものは欲求を満たす方向へ動くものです。
    俗世間に生きる私としてはまだまだ「クローン人間を作るなんてバカバカしい」とまで言いきれる自信はありませんが、10年前よりは少しだけその意味がわかるような気がします。倫理学的な根拠というよりは、「ヒトという生き物(種)としての人間」という視点で(どちらかというと自然科学的視点で)考えた時、そのような選択肢は存在しえない、とおっしゃりたかったのではないかと思います。

    すべての人が納得する根拠を創ることは大変難しいですが、もし仮に「クローン人間」という選択肢を容認するならば、その技術の是非の検討にあたっては、私たち人間社会が、どのような価値観を持つことになるのか、どのような社会を目指したいのかといった視点についても、あらかじめ十分に検討する必要があると思っています。

    <参考>
    1) 中村桂子 人間について考えていた頃を思い出しながら
    http://www.brh.co.jp/communication/hitokoto/2002/post_000011.html
    2) 中村桂子 人間について考えていた頃を思い出しながら-2
    http://www.brh.co.jp/communication/hitokoto/2002/post_000012.html

  3. 2015年07月13日  回答者:30代主婦

    ご回答、ありがとうございます。安全性の問題以外でヒトクローン作製に反対することは難しいとのことと理解いたしましたが、それは少々驚くものでもありました。
    そこで、生物学の研究をしている夫にも意見を求めたところ、目的が生殖医療(子を設けるため)であっても、作成されたクローンは、生物学的には決して“子”ではない、コピーである、というものでした。
    そこで、さらにお伺いさせてください。

    1. 生物学的に子として認められないヒトを“子”として作成することは、“子”の定義を変えることになるが、そもそも“子”の定義は何なのか。
    2. 生物学的に“子”ではなくても、社会的に“子”として法的にも認めるとして、パンドラの箱を開けることにはならないのか。
    例えば、ヒトと同様の頭脳を持つロボットをヒトとして認めることを求められたり、愛情を注ぐ対象である犬や猫といったペットにも、財産の所有権を認めることを求められたり、といったことが、とりあえずは思い浮かびます。
    3. 自らのコピーを作成したい、などと考える人に悪用されていくと、自然の生命体系を壊していくことにならないのか。
    4. 3)を防ぐため例えば、無精子病の患者の不妊治療として認めるとして、遺伝的に同一の子であれば、無精子病という病気もかなりの可能性でコピーされることになり、代々クローンでないと、家系が維持できないような事態を生むが、それでも、その個人の選択として、その医療が提供されていいものなのか。
    5. 根拠は説明できないがクローン人間なんてとんでもない、と考える人たちが社会に一定数いるときに、有用な医療行為であり、その技術を必要としている人がおり、安全性が確認されていれば、その医療は導入されていいものなのか。

    たくさんお伺いすることになり、申し訳ございませんが、ご教授いただけましたら幸いです。

  4. 2015年07月16日  回答者:鈴木美香

    再コメント、ありがとうございます。それぞれの項目に対し、私なりのお返事を試みます。
    1.「子の定義」さらには「家族の定義」について、みなさんはどう思われるか議論してみたくなりました。考えると深いテーマです。
    生物学的につながりさえあれば、子どもと言えるのでしょうか。逆に生物学的なつながりがなければ親子関係はなしえないものでしょうか。養子縁組など、制度上認められている親子関係があることを考えれば、生物学的なつながりは必須としていないのが現代社会だと思います。生物学的なつながりはなくとも、親子関係や家族というものが成立する社会を人間は築いてきたと言えるのではないでしょうか。
    一方で、親となりたい側(子を求める側)の気持ちとして「生物学的な(遺伝的な)」つながりを重視する傾向が強くなっているように感じます。それはまさに、「クローン」や「体外受精」など新しい技術が導いてきたものではないでしょうか。
    子どもとは何か、親子とは何か、家族とは何かを、みなさんはどう定義するでしょうか。

    2.制度上は、「養子縁組」と変わらないのではないかと思います。ただ現実問題として、養子として受け入れるためには条件があるそうで、その条件をクリアーできず断念する夫婦もいるということを読んだことがあります。この世に生を受けた子どもの福祉と、親になりたいという夫婦の願いと、両者を満たすことのできる制度が求められているように思います。

    3.これは、目的が悪用か否かにかかわらず懸念されることだと思います。生物学としてのヒトは、生物界において、精子と卵子が受精する有性生殖という方法(無性生殖ではなく)を選択し今に至っています。自然の生命体系を壊すことにならないのかという点も、安全性の問題に含まれると考えています。

    4.なんらかの原因で子どもを授かることができない場合、新しい技術はどんなものであっても利用したい気持ちが生じるのは当然のことと思います。それを利用するかしないかの判断の違いは、どこにあるのでしょうか。
    また、技術の安全性が確立し、かつ、安価であり、誰にでも利用可能な状況になった場合、「クローン技術により子を授かること」が子どもを授かる選択肢の一つとして定着するのでしょうか。

    私自身は、上記3で示したように、生物界におけるヒトが選択した結果である有性生殖という方法を超える選択をすることが安全であるか否かは、人類がどれだけ時間をかけてもわかりえないと考えます。また、次世代に責任が取れないような選択はすべきではないと考えています。

    ところで、無精子症の患者さんが「クローン技術」を用いて子を設けるのは「医療」なのでしょうか。「医療(治療)」を、「疾患を治すこと(または症状を抑えること)」と定義するならば、クローン技術で無精子症が治るというわけではありません。どこまでを「医療」と考えるかも検討する必要がありそうですね。

    5.これは、クローン技術に限らず、どのような新しい技術にも言える問いだと思います。新しい技術には必ず、「とんでもない!」と反対する立場と、「有益だし、その技術を求める人がいる!」と賛成する立場があるものです。安全性が確認されたとき、その技術を導入するか否か、それはまさに、私たち社会が「どのような社会に生きたいのか」 を考え、知恵をしぼって納得できる選択肢を創り上げるものだと思います。そこに正解はありません。技術を生み出す研究者と、技術の恩恵に与かる市民と、そして議論のきっかけや対話ができるしくみをセッティングする者、みなが一緒になって考えて、考えて、考える必要があると思います。わたしたちは「きっかけ」や「対話」ができる場を創るところでお役に立つことができればと思っています。
    (この「ひろば」も対話らしくなってきましたね。)

    これからも、考え続けてください。私も一緒に考えます。

  5. 2015年07月22日  回答者:30代主婦

    度重なるご回答、ありがとうございます。
    私の説明が不足していたようで、申し訳ありません。
    先のご回答から、無性生殖によって人間の子どもを設けることを認めるのか否かが論点になるのかなと理解し、無性生殖で設けた子を人間の子として社会が許容するか、というところをお伺いしたいと考えました。その文脈においての、“人間の子の定義”を意味しておりました。
    つまりは、人間の子どもは男性と女性のふたりの遺伝を引き継ぐものでなければならない、といったことを定義してしまうか、あるいは、人間は人間を殺してはならない、というような決まり事と同じように決めてしまえないか、という考えですが、倫理学的に考えると難しいという、当初のご回答があったのでした。。。
    ご意見をお伺いし、人間の適正な種の維持を危うくするということが、まずはヒトクローン作成への反論になり得るのだろうと理解いたしました。
    同時に、人間は社会を形成し、その社会は個人の尊厳を守ることで維持されているのですから、動物ではよくても、一定のルールで社会を維持する人間では駄目なのだ(厳密なルールが必要だ)、ということかなと思います。(究極のところ、種のバランスが崩れたとして、個体調整を人間ですることはできないですし。)
    ご指摘の通り、ヒトクローン作成は医療の範囲を超えていて、生殖医療を目的にヒトクローンを作成する、という問い自体に問題がありました。
    これからも、考えていきたいと思います。
    ありがとうございました。

  6. 2015年07月29日  回答者:匿名希望

    できる技術があり、その技術の適応を望む人がいれば、自己決定を根拠に適応していいのかが論点の一つだと思います。

    橳島次郎さんの『生命科学の欲望と倫理』によりますと、フランスの生命倫理法では、自己決定よりも上位に、社会秩序の維持、人の種としての尊厳の維持を置いているため、個人の同意がすべてを正当化するわけではないとしているようです。
    できる技術を適応してはならないという判断の根拠に関して、このような原則論的な議論が日本ではあまり行なわれていないのではないでしょうか。
    (行なわれているのであれば、現状をご教示いただければ幸いです。)

    またハーバーマスは、クローンなどからデザイナーベビーへ連なる生殖補助技術は、社会の基盤にあるべき人としての対等性を破壊するという根拠から拒否を正当化できるのではないかと言っていたように思います(『人間の将来とバイオエシックス』)。
    もう一点、親の愛情と生の被贈与性は無関係とは思えず、このような技術が親子関係を変えてしまう可能性に対するマイケル・サンデルの懸念も十分に注目すべき点だと思います(『完全な人間を目指さなくてもよい理由』)。

    「親となりたい気持ち」は、親の意思のみによる自己決定ですが、そこに生まれてくる子供の意思・自己決定はありません(当然ですが)。これは、本当に無視していいのか、これまでここら辺りの議論が貧弱なため、今更ながら日本では子供の「出自を知る権利」が問題となっているのではないでしょうか。

    クローンとして生まれてくる子供の気持ちって、どうなんでしょう?

  7. 2015年10月11日  回答者:3マールカJSB

    初めまして。
    乱文だと思いますがお付き合い下さい。
    私は、大学受験で医療系学部を目指していることもありクローン人間について興味を持ちました。
    私は、正直クローン人間について反対です。
    確かに、難病を抱えてる方たちからすれば健康体の自分を作ることで患者さん自身にとっては完治する可能性も出てきたりまた拒絶反応なども少なくて済むという点では良いと思った時期もあります。
    しかし、小論文などを書くにあたって医療や倫理などいろいろ調べていく中で考えが変わりました。
    現在では、クローン人間がもし作られたと仮定した時に何らかの理由で人工的に作られた人間は社会的問題もそうですがクローンとして作られた本人自身の精神的面でも問題があるのではないかと思い私は反対です。
    例えば、作った親は本当にそのクローン人間である子供を愛情もって育てる事が出来るかなどです。
    クローンとして作られたとしても、人間である以上は感情などをもっているやけです。
    目的が終わってしまえば、その人間は必要となくなる可能性があり親は育児放棄をしたり、暴力を振るったりする可能性は多くあると思います。
    しかし、クローン人間であっても作ったからにはちゃんと愛情をもって育てるべきだと考えます。
    そして、1人の人間として自分自身の人格も持っていると思います。
    社会では、クローン人間が問題視されてる大きな理由として臓器移植などの倫理的問題が多く取り上げられていますが、これからもっと考えるべきことは倫理的問題もそうですが、もしクローン人間を作った場合に1人の人格を持った人間としてどのように社会全体が彼らのことを支援していくも考えていくべきだと私は思います。
    もし自分自身のクローン人間を作ったとしたら、自分と同じ人格を持った人間だと思いますか?
    それとも、違う人格を持った人間だと思いますか?
    長文でそして乱文で申し訳ありません。

    • 2015年10月16日  回答者:児玉聡

      ご質問ありがとうございます。コメントにはいくつかの大事なご指摘が含まれているように思います。
      私はクローン人間は安全上の問題以外には本質的に禁止する根拠はないと思っているので、
      その観点からお答えいたします。

      まず、クローン人間(ヒトクローン個体)を作って、臓器移植用のスペアとして用いるという話ですが、
      これはクローン人間も普通の人間として人権を持つべきと考えますので、例えば心臓を摘出して
      他の人(元の人間)などに移植するということは道徳的に許されないと思います。ただし、
      たとえば骨髄移植や片方の腎臓移植などを行なう可能性はありうるかもしれません。
      実際、クローンではありませんが「救世主きょうだい」という仕方でこのような事例があります。
      たとえば映画で『私の中のあなた』をご覧ください。こうした事例は、クローン人間に限らず、
      他人のために利用する目的で子どもを作ることは許されるか、という問題を含んでいると思います。
      これについてはまた別の機会に議論できればと思います。

      次に、親がクローン人間を普通の子として育てられるか、という問題ですが、上記のようなスペア人間と
      して作った場合には、ご指摘のような困難が生じる可能性があるだろうと思いますが、
      それでも一般的に言えば、クローン人間を親が普通に育てられない本質的な要因はないように思います。
      子どもは自分に似ていても似ていなくても親に責任感があれば育てられるものではないでしょうか。

      最後に、本人のアイデンティティの問題ですが、もちろん客観的には、一卵性双生児の場合と同様、
      元の個体とは別の人格と考えるべきです。本人の主観の問題としては、アイデンティティ形成に困難を生じる
      可能性があるのではないかと思いますが、アイデンティティ形成に困難を感じないのが必ずしも人の成長に
      とってよいわけでもないので、「(クローン人間が一般的でない社会においては)普通でない」自分のあり方を受け入れられるよう、社会的にも支援したらよいのではないでしょうか。

      以上です。またのご質問をお待ちしております。

  8. 2016年01月19日  回答者:30代主婦

    当初、この質問をさせていただいた者です。先般本HPで公開されたゲノム改変に関する資料を拝読しました。
    http://www.cape.bun.kyoto-u.ac.jp/wp-content/uploads/2014/03/e821356ff786e8ddecf8a80936d765a1.pdf
    この中で、海外の研究者が次のような指摘をなされていました。

    「デザイナー」(設計者)と「デザイン(設計) された人々」との間に、非常に非対称的な関係を成立させてしまうというものである。自らのゲノムを改変された人々は、その改変を施した当事者の意図を反映することになるだろう。さらには、親と子の間の関係とは異なり、デザイナーとデザインされた人々との間の関係はその本性上、対話的ではなく、本質的に道具的である。

    ヒトクローンを作成することも、同様に考えを展開して倫理的に否定することはできないものでしょうか。
    つまりは、ヒトクローンで生まれた子どもは「造られた人(被造物)」となり、親は「作成を依頼した人(発注者)」となり、クローニングした人は「造った人(製造者)」となる。そこに人と人との対等な関係性はない。人と人は平等でなくてはならず、人を被造物にすることは平等性の観点から認められるべきではない、という考え方です。
    「人は人を造ってはいけない」ということが主張できるのであれば、ヒトクローンは認められないですし、他にも例えば、人間と同じレベルの知能を持つロボットも、「人」として扱われることはあり得ないのではないかと思いました。
    前提として、ヒトクローン作成は通常の生殖を補う医療行為ではなく、ヒトを作る行為であるという認識と、人と人が平等でないといけないというのは倫理の玉条のはずであるという(素人)考えがあります。

    最初に質問をしたときは、クローン人間はドナーと容姿でさえ同一にはなり得ないと聞いたことでコピー人間を作る不気味さがなくなり、それであれば“子”として存在を認められる可能性もあるのではないか、と考えました。けれど、人が人を造る、という行為そのものをもう一度考え直しました。
    やはり無理があるのでしょうか。ご教示いただけましたら幸いです。

  9. 2016年01月22日  回答者:児玉聡

    ご質問ありがとうございます。デザイナーベビーやクローン人間は、デザインした人(親)とデザインされた人(子)という非対称的な関係ができて、人と人の間にあるべき平等性が失われる、というご指摘かと存じます。もっと言えば、「デザインされる」というのは「物」についてのみ行うべきものであり、人についてデザインしてはいけない、人をデザインすることは人をモノと同じように扱うことである、というカント的な批判であるかと思います。

    しかし、親と子の非対称性というのは通常の親子関係においても発生するものです。例えば、現在朝日新聞で連載されている某調理師専門学校の初代校長が、息子を次の校長にするために英才教育を施すというのは、息子の人生を幼少期からデザインしていると言えるでしょう。このような事例を認めるとすれば、なぜ生まれたあとにデザインすることはよくて、生まれる前からデザインすることは悪いかを説明する必要があるように思います。

    なお、上記の息子さんは自分の人生として引き受けて立派に校長を務めておられるようです。先代校長が息子さんの人生をデザインしつつも、一個の人格として尊重していたからなのかもしれません。そう考えると、デザイナーベビーや、クローン人間を作る人(親)も、子をデザインしつつもその成長過程においては一個の人格として尊重することができる可能性はあり、そうするとこうしたケースではあまり問題はないように思います。

    仮に、「デザイナーベビーを作る親ほど、子どもをモノとして考える傾向がある」という実証研究が出てきた場合はどうでしょうか。鉄腕アトムを作った天馬博士が普通の子どものように成長しないアトムを気に入らず捨てたという話がありますが、天馬博士のような人が増えたら、何か規制を考える必要があるかもしれません。しかし、その場合も、子どもをモノ扱いする人がよほど多いのではない限り、全面的に禁止するのではなく、事前カウンセリングを施行するなど、条件付きの規制にすればよいように思います。

  10. 2016年01月24日  回答者:トキ

    色々議論はあったと思いますが、お分りの通り正解は存在しません。定義などという物はその時代の水準によって受け入れられ方は異なる物です。昔はイルカも魚の定義でしたし、また例えばですが
    洗濯板が主流の時代に洗濯機が登場すれば、人人は怪訝な見方をするでしょうし、今の私達にとって奴隷制度という物が受け入れられないように。技術という物はそれに相応した時代の水準という物があります。
    そういうことなので、現在これだけの反対意見が出るということはクローンという技術に対して時代の水準まだ追いついていないということなのでしょう、
    結局の所、良い技術、悪い技術や倫理に反する、倫理に合っているという事は立場によって見方は大きく異なる物です。
    良いか悪いかでは答えは出ません、なので出来る限り多くの人が納得できるルール作りが大切な事なんです。それが一番難しいことですけどね

  11. 2016年01月28日  回答者:児玉聡

    貴重なご意見ありがとうございます。
    生命倫理ではよく「正解がない」「答の出ない問題」といった表現を見かけますが、私自身はそのように考えておりません。倫理一般についても、ときどき同じような主張がなされます。いわゆる文化相対主義や価値相対主義と呼ばれる立場です。

    すべての倫理的問題には正解はないのでしょうか。例えば、3歳児が大人の男性をにらみつけたという理由で、その男性がその子を殴り殺したとします。他に重要な情報がないかぎり、その男性がしたことは間違っていたという倫理的判断は、正解と言えないでしょうか。

    たしかに、生命倫理の問題でもとくに論争になるものは今の事例よりもはるかに難問で、すぐに答えはでません。ただ、それらの問いに関
    してすぐに答えが出ないからといって、それらの問いには答えがない(あるいはあらゆる倫理的問いには答えがない)という結論は直ちには
    導けません。正解はあるが、それに到達するのは難しいような問題もある、と考えることもできます。

    また、論者の立場によって意見は変わるというのは確かですが、だからといってすべての意見が等しく正しいということにはなりません。
    できるかぎり多くの人が納得できるルール作りをするためには、それぞれの意見の根拠となる議論のよし悪しを見分ける必要があるように思います。文化相対主義の議論については、レイチェルズの『現実を見つめる道徳哲学』や加藤尚武の『現代倫理学入門』なども参考になりますので、ご関心があればぜひご覧いただければと存じます。

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回答者一覧

児玉 聡 ( 京都大学・文学研究科、倫理一般)
佐藤 恵子 ( 京都大学・医学部附属病院、生命倫理)
鈴木 美香 ( 京都大学・iPS 細胞研究所、研究倫理)
長尾 式子 ( 神戸大学・保健学研究科、看護倫理)

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