「京都大学を拠点とする領域横断型の生命倫理の研究・教育体制の構築」プロジェクトでは、英国ブリストル大学のRuud ter Meulen氏とRichard Huxtable氏をお招きし、2015年3月19・20日に、京都大学の吉田泉殿にてワークショップを開催しました。京都大学大学院文学研究科応用哲学・倫理学教育研究センター(CAPE)ならびに京都大学附属病院臨床研究総合センターの協力のもと、また、1日目は文部科学省科学研究費補助金基盤研究(B)「再生医療新法時代の生命倫理ガバナンス:基礎研究から医療応報まで(研究代表者位田隆一氏)」のご協力をいただいて開催することができました。
ワークショップの目的は、私たちが検討している生命倫理に関するテーマについて、日本と英国における現状や問題点、対応策などを紹介し合い、対話を通じて今後の取り組みを考えることであり、第一日目は研究公正をテーマに、二日目は臨床倫理の中でも終末期医療をテーマに選びました。
研究公正については、日本で臨床試験や基礎研究で不正行為が問題となっていることもあり、研究を実施するには何をどうすべきかを話合いました。位田隆一氏(同志社大学)がディオバン事件、鈴木美香氏(京都大学iPS細胞研究所)がSTAP細胞の事件の概要と検討すべき点について紹介し、佐藤恵子(京都大学医学部附属病院)が研究者の行動基準の必要性について話をした後、ter Meulen氏(ブリストル大学)から英国ブリストル大学での公正な研究実施のための取り組み事例を、伊勢田哲治氏(京都大学文学研究科)から京都大学での志の高い研究実施に向けた試みを紹介していただきました。川真田伸氏(先端医療振興財団)にはSTAP細胞事件が生じた背景や考えうる要因と取るべき対策案についてお話いただき、これらの報告を踏まえて、東島仁氏(信州大学)より講評をいただくとともに、研究倫理教育の試みの例としてCITI Japanについてご紹介いただきました。
これらの報告と議論から、研究における不正や不適切な行為は、研究者個人だけでなく、共同研究者、研究組織、研究資金提供の体制、国や組織における研究ガバナンスの体制、科学(者)コミュニティと社会の関係、メディア、研究者教育など、あらゆる部分に問題があって起きていること、従って公正な研究が実施されるようになるには、すべての部分において適切な対応策を講じなくては意味がないことが確認されました。そして、ブリストル大学の先生方からは、「不正をする人は、古今東西、現在も将来もおり、それをなくすことはできない。したがって、不正が行われないような仕組み作りや文化の醸成が大事である」という重要な意見をいただき、研究者への研究倫理教育の徹底や規制・監視システムの強化といった対応だけでは解決しない問題であることを強く認識しました。
二日目の終末期医療については、たとえば多臓器不全の高齢者に透析などの延命治療が施され、本人の利益になっていないと誰もが感じているにもかかわらず中止することができない状況をどうする、といった問題について話合いました。まず田中美穂氏(日本医師会総合政策研究機構)と児玉聡氏(京都大学文学研究科)より日本における終末期医療の状況と尊厳死法案の問題点ならびに代案となる法案について紹介していただき、國頭英夫氏(日赤医療センター)より終末期の患者さんの対応における医師の役割、Huxtable氏(ブリストル大学)より英国における終末期医療の状況をお話しいただきました。その後、鷲巣典代氏(日本アルツハイマー協会)から日本における在宅での患者さんのケアの現状、佐藤恵子(京都大学医学部附属病院)が終末期患者が平穏に旅立つための仕組みづくりについてお話し、これらの報告を踏まえて、田村恵子氏(京都大学医学研究科)から仕組み作りの上での患者・家族の関与の必要性についてお話しいただきました。
尊厳死(延命治療の差控えや中止)をはじめとする終末期の問題は、法律の整備もさることながら、患者や家族はどのように死に向かい合うべきか、医療者の生死や終末期医療に対する思想、在宅や病院におけるケアの体制、社会保障の仕組みや、コストなどさまざまな問題を多方面から考えなくてはならないことがわかりました。また、英国では尊厳死の問題はほぼ解決し、現在は医師の幇助による安楽死を合法化するかどうかが議論されているとのことで、日本では、寿命は自然が与えるものであって人為的に短くする安楽死や、死を引き延ばすだけの治療は望まないのが一般的だという説明に対して、「英国では身体も精神も考えも自分のものであるので、“生を終わらせる時期も自分で決める”ということが“自然な”考えである」という意見が述べられ、何を「自然」と考えるかや、生命や自己決定の捉え方自体にも日英での違いがあることがわかりました。
1日目の夜の懇親会も含めて2日間、総勢20名程度の掘りごたつを囲んでのこじんまりした集まりだったこともあり、お茶を片手に参加者みなが言いたいことを言い議論百出し、刺激に満ちた楽しいワークショップになりました。また、「本人が延命治療の拒否を表明していても治療を止められないの?」というter Meulen氏の問いかけに「法律もないし、誰かに殺人と非難されるかもしれないのでできない」と答えると「患者さんが気の毒ですよね…」と絶句された姿を拝見して、私たち医療に関係する者がいかに患者の福利が守られていない状況を容認してしまっているかに改めて気づかされました。
文化や伝統による違いを認識し尊重しなくてはいけない部分や、逆に、国境や法制度の有無に関係なく根本的に共通して考えるべき部分があることなど、国内の関係者だけでの議論では気がつきにくい別の視座からの見方を知ることで得られた気づきも大変多く、国際ワークショップのありがたさを痛感しました。参加してくださったみなさまには改めて厚く御礼申し上げます。
なお、使用言語は主に英語でしたが、正しい理解にもとづき充実した議論ができたのは、児玉氏(京都大学文学研究科)が司会進行に加え、通訳と解説をしてくださったおかげであり、(同じ企画・運営スタッフの身ではありますが)心より感謝申し上げます。ter Meulen氏とHuxtable氏も「大変面白かった。また会いましょう」とおっしゃってくださり、このようなワークショップを継続して開催できたら…とさらに期待が膨らみました。参加者の距離感近く、深い議論ができたのは大きな収穫であり、成果を形にしたいと思うのと同時に、継続した対話を通じて発展させていければと考えています。次回は、できれば日英のビール片手に、パブの雰囲気で。